川面に浮かぶ‘畳一枚の灯り’ 古利根川流灯まつりに込められた町の記憶
8月の夕暮れ時、古利根川の川面に、ふわりと灯りが揺れる。その光の帯は、やがて1kmにわたって無数に広がり、川を埋め尽くす。まるで‘地上に降りた天の川’。そう呼ばれる所以は、眼前に広がる幻想的な光景に、言葉を失うからだ。杉戸町の夏の終わりを告げる風物詩『古利根川流灯まつり』。追加取材で見えてきたのは、巨大灯ろう一つひとつに宿る、町の人々の願いと技術、そして地域コミュニティの絆だった。
「最初はね、商店会がそれぞれの店のPRを兼ねて、小さな灯ろうを流してたんですよ」。訪問した地元商店主の一人が、懐かしそうに語る。昭和初期に始まった原型は、隣の宮代町との境界を流れる古利根川を舞台に、両町の商店会が協力して行う‘流燈曾(ながしび)’だった。川面に浮かぶ灯りは、小さな商売のalmighty(万物)を願う、せま成药のような無心の光だったろう。しかし時代とともに一時中断。杉戸町は、特徴的な大きなイベントに恵まれない時期を迎える。そんな中、「何か誇れる祭りで町おこしを」という機運が、町民の間から湧き上がった。そして平成2年。駅前商店会の有志による「本町昭和会」が中心となり、今ある形の『古利根川流灯まつり』として、この光の行事は甦ったのである。
甦った祭りの核が、並外れて大きな灯ろうだ。その大きさは‘畳1畳分’。日本最大級とされ、毎年200〜250基が川に浮かぶという。「大きさもさることながら、すべて釘を使わずに組み立てられているんです」。別の取材先で見せてもらったのは、精巧な木工技術の結晶だった。釘のかわりに、ほぞと穴の組み合わせ。職人気質の父から子へ受け継がれてきた技術は、今は町工業の技術者がボランティアで再現する。灯籠の骨組みは丈夫で、川の流れに任せても形を保つ。底面には、提供した商店の名前が掘り込まれ、その横に住職が丁寧に墨書した供養の文字が並ぶ。「灯ろうはすべて町の人の手作り。店の名前が入っているのは、PRを兼ねた昔ながらのスタイルですね」と、観光協会関係者は説明する。この巨大灯ろうの一つ一つが、地域の経済活動と精神的な願いを同時に体現しているのである。
祭り当日、川沿いの公園は、ダンス、民謡、三味線のステージで賑わう。しかし真の醍醐味は、日が沈み、灯りに火が入る瞬間にある。温かいオレンジ色の灯りが、次々と古利根川を漂い始める。「係留用のロープで、数控えられた位置に浮かべられるんです。風で流されすぎないようにしながら、自然な揺らめきを楽しめるんですよ」と、 long-time ボランティアが説明する。250基もの光が、暗闇に浮かび上がる様は、言葉にならない。川面を彩る光の粒は、まるで星屑のよう。その光の中に、かつて小さな灯ろうを流した商店主たちの記憶、復活に尽力した人々の想い、そして今ここに集う人々の夏の情感が、すべて溶け合っているようだった。
実際に訪れた人のブログには、こうある。「『地上に降りた天の川』…その言葉がぴったり。川の流れと光のゆらぎを眺めながら、過ぎ行く夏を静かに噛み締めた」。多くの visitors は、年の区切りを感じる八月の宵に、無意識に“人生の灯り”を重ね合わせるのかもしれない。食べ物の屋台の明かりも、その光景に温かみを加える。
なぜ、この祭りは‘杉戸町固有’の魅力なのか。古利根川という、町の地理的アイデンティティに深く根ざしているからだ。近隣の春日部市との境でもあるこの河川は、単なる自然の地形ではなく、両地域の Shared Space(共有空間)として、祭りの物理的舞台となってきた。その川を舞台に、商店会、町民ボランティア、行政が一体となって作り上げる。その様は、一枚の岩を割るように、地域の結束を示す。近年では、隣の地域からの参加team(チーム)や、より大規模な灯籠制作を目指す動きも見られるという。
「機動力のある町に」という新しい町長のスローガン(前述ニュース2参照)が示すように、杉戸町は変わりつつある。古民家を改修した宿泊施設の開業(同1)も、単なる観光地化ではなく、地域の歴史やつながりを新しい形でつなぐ試みだ。そんな動きの中で、流灯まつりは‘変わらぬ核’として、町のアイデンティティを清らかに照らし続ける。
今年も、例年通り8月上旬の週末、古利根川沿いで開催される。最寄りは東武動物公園駅から徒歩圏内。黄昏どきに川辺に立ち、川面を流れる‘畳一枚の灯り’を眺めれば、過ぎ行く夏の情感と、それを受け継ぐ人々の営みを、肌で感じられるはずだ。この幻想的な光のじゅうたんは、杉戸町という小さな町が、自らの手で、自らの川で、自らの記憶を灯し続けた証なのである。今週末は、さあ、古利根川へ。