揚げかまぼこ20万枚の約束 女川・高政が紡ぐ復興の輪
春の海風が運ぶ潮の香り。宫城県女川町の港では、古くから続く水産業の息づかいがある。その中で、約90年の歴史を持つ老舗かまぼこ店「蒲鉾本舗 高政」が、東日本大震災という蹂躙を受けた町で、一つの「約束」を胸に歩み続けている。
「黙って見ていられなかった」 2011年3月11日。津波は高政の工場を流し、町の8割近くの建物を奪った。四代目社長、高橋正樹さん(51)は当時を「自分のふるさとがなくなってしまう」という危機感とともに振り返る。しかし、彼に襲ったのは喪失だけではなかった。避難所に広がる、食べ物のない不安と孤独だった。
緊急電源車がようやく工場に電気を運んだ時、高政は動き出した。何度も揚げかまぼこを焼き、熱々のうちに女川町、石巻市、東松島市の避難所へ。その数、約20万枚。温かい食べ物が足りない被災地で、一枚のかまぼこがどれほどの笑顔を生んだことか。高橋さんは言う。「温かい食べ物が足りておらず、喜ばれた。『高政が復興をしないと町の復興も遅れる』と、ずっと思っていた」。
雇用を倍増させた「600人の生活」 多くの企業が倒産あるいは従業員を手放す中、高政の選択は対照的だった。工場が動かない間も約100人の従業員に満額の給与を払い続け、2011年4月には計画通り新入社員約30人を受け入れた。震災前から計画していた新工場も9月に稼働。その後も人次を増やし、最終的に従業員数は約200人へ。実に震災前から倍増させた。
その背景には、貫禄の哲学がある。「社員1人が家族3人を養えれば、600人の生活を救うことになる」。高橋さんは続ける。「震災前は普通に『かまぼこ屋のせがれ』として生きていたが、『自分は誰のために生きているのか』という問いに、突き動かされるように生きてきた」。
他社支援という「意外性」 さらに注目すべきは、高政が他社支援にも乗り出したことだ。自社の復興が最優先のはずなのに、なぜか。「『黙って見ていられない』という想いが、ずっとあった」と高橋さん。地元の水産加工業全体が被災し、需給が乱れる中、高政は自らの販路や資材を分かち合う動きを見せた。これこそが、単なる industrials の復興を超えた「地域支援の輪」の始まりだった。
春のまつりと共に歩む 震災から14年。女川町では毎年、復興を願う「春のまつり」が開かれ、家族連れで賑わう。高政もかまぼこの振る舞いなどでまつりを支える。水産加工業の歴史と共に生きてきた町の記憶を、かまぼこは今もつないでいる。高橋さんは「復興の一番の敵は孤独」と語る。祭りやイベントを通じて外から人を呼び込み、町のにぎわいとつながりを取り戻すことが、長期的な復興だと言う。
高政の物語は、かまぼこの製造技術を超えて、「地域全体の生活を守る」という経営の哲学を映している。揚げかまぼこ20万枚の温もりと、雇用を倍増させた決断。それは、町の未来を信じた一人の若き経営者の、途方もない「約束」だった。
今週末、女川町を訪れるなら、ぜひ高政の工場や春のまつりの会場に足を運んでみてほしい。揚げかまぼこの香りとともに、復興という重いテーマを、あたたかな人間の営みとして感じ取れるはずだ。