硫黄島に響く、アフリカの鼓動
少しの緊張と、大きな期待。会場に集まった老若男女の眼差しが、ステージ上の一つの楽器——roomに深く、大地を揺さぶるような音を放つ土製のドラム‘ジャンベ’——に注がれている。軽やかなリズムに合わせて、今度は観客自らがステージに上がり、笑顔で踊り出す。この光景が、硫黄島の一角で日常的に繰り広げられていることを、あなたはご存知だろうか。
鹿児島県・三島村。世界にその名を知られる硫黄島は、決して戦争の記憶だけの島ではない。アフリカ・ウエストアフリカ発祥の打楽器、ジャンベの音色が、この離島の空気に深く沁み込み、独自の文化として育まれている。その中心にいるのは、島に移住して20年、村民から「名物指導者」と慕われる横山毅さん(51)だ。
横山さんが硫黄島に足を踏み入れたのは20年前。当初、島でジャンベを叩く村民の姿は「少なかった」という。しかし、「ジャンベをうまく使えば三島の魅力を全国にアピールできる。若者が来てくれれば、人口の少ない村に活気が生まれる」という思いを胸に、家を借り、島に残ることを決意した。
彼の活動は、個人の趣味の域を出なかったジャンベを、島の「公共財」へと変えていった。後に続く留学生のまとめ役となり、船が入港する際には演奏で島を歓迎するよう呼びかけた。村民と共に「ジャンベ社会人サークル」を立ち上げ、毎週水曜日には三島片泊学園の児童たちが授業としてジャンベに触れる。かつては稀だった叩く音が、今では子どもから大人までが楽しむ日常の風景となった。
三島村におけるジャンベ交流は、実に15年余の歴史を持つ。記念行事として鹿児島と東京で公演を実施し、村を超えた発表の場を創出。学校行事「夏の祭典」では、全校生徒が心を合わせて練習に励み、開発センターで行われたコンサートは、島にとって最高の思い出の一つになった。
ジャンベ留学という独特の制度も生まれた。村が「アジア初のジャンベスクール」を開設し、6ヶ月の短期留学生を募集。国内外から訪れる人々が、島の豊かな自然の中で楽器に没頭する。ある体験者は、「アフリカの文化に触れることが人生に欠けていた」と後悔しつつも、「約30年という時の中で深く島に沁みこんだこの音色に魅せられ、留学する者が後を絶たない」とその変容を驚きをもって伝える。
横山さんの現在の夢は、さらなる広がりだ。「竹島と黒島にもジャンベを広げたい」。音色を通じて「多様性と秩序」を感じる場を増やし、三島村のジャンベの歴史を紡ぎ続ける。彼が口にする「親切にしてくれた島の人に恩返ししたい」という一言には、移住者が地域に深く根ざすことのできる_PROOF_が込められている。
戦場の記憶が色濃く残る硫黄島に、今、アフリカの鼓動が新たな物語を刻み始めている。それは、異文化が地域コミュニティを潤す没有想到の力を持った事例でもある。村の特産品が日本橋で販売されるような外面的な発信とは別に、音とリズムによる内発的な活力が、この小さな島の未来を確実に照らし始めているのだ。
もしあなたが、音と共に生きる島の日常に触れたければ、三島村を訪れてみては。硫黄島のジャンベスクールでは体験も可能だ。単なる楽器演奏を超えた、人と島をつなぐ‘魂の響き’が、きっとあなたを待っている。