遠く離れた二つの故郷が、盃の中で交わる瞬間
グラスに注がれた液体は、ほんのりと黄金色に輝いている。冷やして飲むよう、蔵元から強く勧められた通りだ。口に含むと、まず米の旨みが優しく広がり、その後からキリッとした辛さが追いかけてくる。まろやかで、雑味はない。これは、北海道新十津川町と奈良県十津川村――距離にして約1,500キロ、新幹線と在来線を乗り継いでも半日以上かかる、二つの地が共に醸した純米酒「郷の心」だ。
なぜ、こんなに遠く離れた土地が共に酒を造ることになったのか? その答えは、明治22年の大水害にさかのぼる。当時、奈良県十津川村は未曾有の被害を受け、多くの住民が故郷を離れ、北海道へと移住した。その先の地に彼らがつくったのが、新十津川町だ。今年で開町・開村からほぼ140年。両者の間では、今も交流が続いている。そして今、その歴史的つながりが、盃の中に具体的な形として結実している。
この春、十津川村の田んぼでは、新十津川町の金滴酒造・名取重和社長と、十津川村の村長、地元青年団が揃って田植えを行った。植えられたのは、十津川村産の酒造好適米「吟のさと」。この米が、秋に収録されると、約400キロ離れた空知の大地に運ばれ、新十津川町産の酒米「吟風」とブレンドされる。その比率は、地元・新十津川町の「吟風」が70%、母村・十津川村の「吟のさと」が30%。土地の個性を活かしつつ、絶妙なハーモニーを追求した配合だ。
仕込みは毎年、冬。新十津川町の清冷な水と、北海道米の力強い味わいを基調に、十津川村の米が加わることで、まろやかで優しい口当たりが生まれるという。「濃厚な味わいでやや甘口」と説明されるが、決してくどくない。後味のキレが良く、雑味が一切ないのは、酒造好適米としての品格と、杜氏の技術の賜物だろう。
この「郷の心」、実は4年ぶりのリリースだという。コロナ禍で交流が一時停滞した時期もあったが、それでも両地域のつながりは絶えることなく、今年再び瓶が世に送り出された。特に注目されるのは、2026年に創業120年を迎える金滴酒造の節目を飾る酒として、最高級の無濾過生貯蔵バージョンが200本限定で発売されたことだ。通常版とは異なる、よりダイレクトな米の味わいと、生酒ならではのフレッシュな香りが特徴だ。
実際に飲んだ人の声も、その品質を裏付けている。「キリッと辛口に仕上がった」「絶対冷やして飲んで」というアドバイスとともに、「うっすらと黄金色で美味しい」といった感想が寄せられている。冷やすことで、米本来の上品な甘みと、辛口の爽やかさのバランスが最も良くなるようだ。
この酒には、単なる地酒以上の意味が込められている。酒名の「郷の心」とは、互いの故郷を想う気持ちを込めたものだ。遠く離れていても、同じルーツを持つ者同士の絆。その絆を、一粒の酒米が、杜福の技が、見事な形で現代に蘇らせている。北海道の広大な空と、奈良の豊かな山川。分かち合うことが難しいように見える環境が、杯の中で一つになる。これこそが、地域間連携の理想形かもしれない。
今、この酒を味わうことは、140年前の移住者たちが、新たな土地で「故郷」をどう想い、どう築いてきたかを、五感で感受する体験だ。tenacityとmellowが共存する味わいは、開拓の厳しさと、故郷への柔らかな記憶そのもののように感じられる。
もし、あなたが北海道や奈良を訪れる機会があれば、ぜひこの酒を探してみてほしい。新十津川町の金滴酒造や、十津川村の交流施設で手に入る。ふるさと納税の返礼品としても選ばれている。あるいは、遠方で手に入らなくても、その存在自体が、地域という垣根を超えた「つながりの可能性」を教えてくれる一杯であることは間違いない。
今週末は、この「郷の心」を片手に、二つの十津川の物語に想いを馳せてみてはどうか。盃の中に広がるのは、遠く離れた故郷を想う、優しくて確かな心だ。