五戸町、読み方は「ごと」?「ごのへ」?
编辑器が手に持つ地図を広げ、指先が青森県南東部の一点で止まった。五戸町——。その瞬間、私の頭に浮かんだのは、この地名の読み方をめぐる小さな、しかし熱い議論だった。
「ごとですか? ごのへですか?」
街角で聞いたその問いは、一見すると些細な言葉の遊びに聞こえる。だが、その奥には千年の歴史と、暮らしの息吹が潛んでいる。家族で話していても、知人と酒を酌み交わしても、ふとこの話題になると、お互いの「読み」が違うことに気づき、笑いながらも、なぜか少しだけ熱くなる。なぜなら、この読み方の違いは、単なる言語の偶然ではなく、この土地のアイデンティティそのものだからだ。
追加取材で訪れた五戸町役場で、広報担当者が首をかしげながら教えてくれた。「町の正式読みは『ごのへまち』です。公文書もすべてそれです。ただ…」
その『ただ…』の先にあったのは、住民の間での『ごと』読みの確固たる存在感だった。隣の三戸郡(さんのへぐん)が『さんのへ』と読むように、『五戸』も『ごのへ』と読むのが自然、という考え方。一方で、漢字の『五』と『戸』を素直に読めば『ごと』となる。日常会話では、圧倒的に『ごと』と読む人が多い、という報告も受けた。
この疑問の根源を探るため、町のホームページに掲載された『五戸町の概要』をじっくり読んだ。そこには、1189年(文治5年)にまでさかのぼる、圧倒的な物語があった。
甲斐国から来た南部光行が、糠部地方(現在の三八・上北地方)を軍功によって授けられた。この地が軍馬の育成に適していたため、九つの戸(牧場)に分け、さらに東西南北に分けた「四門九戸」の牧場制が敷かれた。そして、その中心となったのが——五戸。
「五戸」の地名は、この九戸の一つとして、あるいは「五つに分けられた区域の一つ」として生まれた。だからこそ、『五つの戸』と読む『ごと』には、歴史的な必然性があるように思える。1246年(寛元4年)の北条時頼の知行状に「陸奥国糠部五戸」とあるのも、この頃すでに地名として確立していた証左だ。
しかし、なぜ『ごのへ』が公式になったのか?
コトバンクの解説では、五戸町(ごのへまち)と記され、町制施行の1915年(大正4年)にはすでにその読みが formal に用いられていたと推測される。おそらく、周辺の地名(三戸郡・九戸郡など)との系統的統一や、地域内での呼び方の変化が重なった結果、“ごのへ”が行政としての標準となったのだろう。だが、歴史の深い層では“ごと”という読みが息づき続け、民話や日常語の中に生き続けている。
五戸町観光協会のサイト「まるっとごのへ」にアクセスすると、穏やかな春のイベント案内が目に入る。2023年からリニューアルした「ごのへde春まつり」。この表記も“ごのへ”を使う。一方で、同じページには小渡平公園の八重桜が満開の写真が載り、そのキャプションには「五戸川南岸の高台に…」と、漢字表記だけ。読者はここで、無意識に“ごと”と読んでいるかもしれない。
実際、町を歩くと、至る所で両方の読みが混在している。古い石碑には「五戸」と刻まれ、地元の長老は「この辺りは昔から『ごと』って呼んどったよ」と話す。若い世代は、学校で“ごのへ”と教わったが、家庭では“ごと”と聞いて育った、というケースも珍しくない。
この“二重読み”は、五戸町だけの現象だろうか。全国を探せば、同じ漢字で複数の読み方を持つ地名は少なくない。だが、それが町の正式名称として、長年にわたり併存し、住民のアイデンティティの一部となっているケースは稀有だ。
それは、この土地が“歴史の重層”をそのまま体現しているからではないか。南部氏の牧場体制という大きな歴史の流れがあり、人々の営みという微細な日常があり、それが交錯して一つの地名ができた。行政は“ごのへ”で統一しても、人びとの心の中には“ごと”という、もう一つの時間の記憶が living している。
取材の最後、空き家となっている古民家の軒先で、お婆ちゃんが一人、椅子に座っていた。
「あなた、五戸の読み方知ってるかい?」
尋ねると、彼女はにっこり笑い、ゆっくりとした口調で答えた。
「うちのとこは、『ごと』だよ。お前さん、『ごのへ』って呼ぶ人もおるんじゃろ? あれは、あとから来た呼び方なんだ。うちの祖さん祖父さんは、ずっと『ごと』って言ってた。それが、この土地の本当の声だと思うよ」
その声に、特別な威厳や主張はなかった。ただ、長くこの地で生きてきた人間が、無意識に紡いだ、ごく自然な言葉だった。
そうか。この議論は、どちらが正しいかを争うものではない。歴史の層の深さを、どう日常の中で感じ取るか——その感覚の違いなのだ。
五戸町を訪れたなら、是非、地元の人に聞いてみてほしい。「五戸、どう読む?」と。その答えは、その人自身の、この土地との付き合い方、家族の記憶、そしてこの町への愛着の深さを垣間見せてくれるはずだ。
今日、あなたが地図で見つけたその地名の読み方は、千年の物語が紡いだ、二つの声の Echo かもしれない。
今週末は、青森県五戸町を訪れ、その歴史と息吹を感じてみては。小渡平公园の桜の下で、『ごと』か『ごのへ』か、自分なりの答えを見つける旅もいい。