66ヘクタールの焼け跡に立つ―鹿沼の森が教えてくれたこと
煙が立ち上るそのとき、誰もが息をのんだ。
2月21日午後1時12分。栃木県鹿沼市上南摩町の粟沢トンネル付近で、車で通りかかった人が煙を目撃し消防に通報。当初はトンネル内火災と誤認されたが、現場に駆けつけた消防隊が林野火災と判明。強い南東風にあおられ、火は瞬く間に西側の山林に広がっていった。
「これはただ事ではない」
松井正一市長が緊急記者会見を開いたのは、発生から3日後の2月24日。被害面積は当初の100ヘクタールから66ヘクタールに修正されたものの、市内では2016年の上永野の16ヘクタール火災をはるかに上回る過去最大規模。人的被害や住家被害はなかったものの、広大な山林が一夜にして黒焦げの地面と化した。
延焼を食い止めたのは「総力戦」
消防車両26台、消防団員約100名、防災ヘリ2機、自衛隊ヘリコプター隊...。まさに総力戦の様相を呈した消火活動。群馬、埼玉両県の防災ヘリも応援に駆けつけ、地上部隊と連携して延焼を防いだ。
「市内の消防力だけでは到底間に合わなかった」
市消防本部の幹部は振り返る。風速10メートル超の強風下、火の粉が飛び火して新たな火点を生む「飛び火現象」が繰り返された。消火栓のない山中で、延々とホースを伸ばし続ける消防団員たち。その姿を市民が見守った。
松井市長は会見で「延焼を食い止めることができており、確実に鎮圧の方向に向かっている」と強調した。だが、その言葉の裏には、一歩間違えれば市街地まで延焼しかねないという危機感があった。
森と向き合う―復興への道
火災から4日後の2月25日、現場周辺にはかすかな煙がまだ立ち上っていた。66ヘクタールとは、東京ドーム14個分に相当する広大な焼け野原。立ち入り禁止区域には、火災の爪痕が生々しく残されていた。
「山が丸裸になってしまった...」
地元住民の一人は声を落とす。鹿沼市は古くから林業が盛んで、山林は地域の誇りでもあった。特に上南摩町周辺はスギやヒノキの人工林が多く、林野庁の統計では県内有数の木材生産地でもある。
しかし、焼けた木々は今後、害虫の発生源や土砂災害の危険性をはらむ。市は近隣市町村と連携し、早急な復旧計画を策定する方針だ。
火災はなぜ起きたのか
出火原因はいまだ調査中。ただ、林野火災の多くは人為的な要因によるもの。たばこの不始末、野焼きの管理不備、農作業中の出火などが考えられる。
鹿沼市では例年2月から4月にかけて乾燥注意報が発令されることが多い。湿度が低く、強風が吹きやすいこの時期、一度火が出ると急速に広がる恐れがある。
「防火対策は一人ひとりの意識にかかっている」
市の担当者は強調する。市内全域で火の取り扱いに注意を呼びかけるとともに、山林所有者に対しては適切な管理を求めている。
これから始まる物語
3月1日11時、ようやく鎮火が確認された。4日間にわたる消火活動。その間、市民からは多くの支援が寄せられた。差し入れの飲料水、食料、毛布...。遠くから応援に駆けつけた消防団員たちをねぎらう声もあった。
「これからが本当の復興の始まりです」
松井市長は決意を新たにする。焼けた山林の再生には数十年かかる。だが、その間に地域の絆はさらに深まるはずだ。
66ヘクタールの焼け跡は、これから新たな物語を紡ぎ始める。鹿沼の森が教えてくれたこと。それは自然の猛威と、人々の連帯の力。私たちはこの教訓を忘れてはならない。
編集後記
林野火災は一瞬にして山を飲み込みます。しかし、その爪痕は長く残ります。私たちは自然と共生しながら、この美しい森を次の世代に引き継いでいかなければなりません。鹿沼の森の再生を、これからも見守り続けたいと思います。